意外と知らない節分のトリビア!実は鬼は歓迎されていたって本当?

鬼は外!福は内!元気に豆を撒く声がいろんな所から聞こえて来る節分。

有名人が参加する豆まきイベントをテレビでみかける事がある位、現在でも大きなイベントとして行われます。

この節分は、いつ始まり、現在の豆撒きが行われる様になったのは、いつ頃かご存知ですか?

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節分の歴史

現在のイメージでは豆を撒く他に「年の数の豆と恵方巻きを食べる日」という事が強いかもしれません。

本来の節分はどんな行事だったのでしょうか?

宮中行事

「鬼を払う」としての節分の歴史は古く「鬼やらい」が始まりと言われています。

これは大晦日に行われる宮中行事で、方相氏(ほうそうし)と呼ばれる鬼役達が宮中を周り厄を払う行事で、これが節分の始まりです。

この行事を行う様子が源氏物語に登場する歴史のある行事でした。

鬼神(きしん)から悪鬼(あっき)へ

最初は鬼役が厄を払う行事だった「鬼やらい」でした。

しかし9世紀頃に鬼神(きしん)として悪鬼(あっき)を払う善神(ぜんしん)として扱われていた方相氏(ほうそうし)が悪鬼(あっき)として追われる立場になりました。

この頃から鬼が「疫病(えきびょう)」の化身としてみられる様になり、鬼を弓矢などで払う事で病気の流行などを封じるという現代の節分に近い形が生まれました。

節分は年に4回

実は節分は年に4回存在します。

立春(りっしゅん)・立夏(りっか)・立秋(りっしゅう)・立冬(りっとう)の前日を指します。

それぞれ四季の変わり目にあたり、古くは節分毎に厄除けなどの行事が行われていました。

この2月の節分だけが残った理由は諸説あるようですが、旧暦(きゅうれき)の正月に近く1年の始まりの行事であるから、寒い日が多く病気を除ける儀式としての意味合いを持っていたからという説があります。

節分と大豆の関係

「鬼は外、福は内」の掛け声と共に豆を撒くようになったのは、いつ頃なのでしょうか?

豆を撒く風習

この豆を撒く風習の発祥は日本ではありません。

元は中国の風習であり日本に伝わったのは室町時代と言われています。

そして誰でもが豆を撒けたのではなく、その年の年男が撒いていました。

現在でも寺院などで開催される豆まきでも、その年の年男・年女が豆を撒く役をしているのでご存知かもしれません。

そして豆を年の数食べる風習も、この頃生まれたと言われます。

豆を撒く理由

この豆撒きの豆に大豆が使われるのは理由があるのです。

「魔(ま)を滅(め)っする」→「魔滅(まめ)」→「豆」とする説。

大豆がお米の次に神事に用いられ、お米より粒が大きく邪鬼(じゃき)を払うのに最適で「魔の目に豆をぶつける」→「魔目」→「豆」という語呂合わせから来ている説があります。

必ず煎り豆を使う

そして必ず煎り豆を使う事にも理由があります。

生の豆だと拾い忘れた物が発芽してしまい縁起が悪いとされています。

こちらも「豆を煎る」→「魔目(まめ)を射る(いる)」という語呂が含まれている様です。

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豆以外で鬼が嫌う物

豆以外の物で鬼を払う方法をご紹介します。

柊(ひいらぎ)の枝

実際に柊の葉を知っている方は分かると思いますが、柊の葉はとても鋭い棘のある葉をしています。

古くから邪気や泥棒の侵入を防ぐために庭に植えられる事の多かった植物の一つです。

この柊の葉の棘が鬼が嫌う物の一つとされています。

鰯(いわし)の頭

そして柊の葉と同じ位に鬼が苦手と言われているのが、鰯(いわし)の頭です。

鬼は焼いた鰯(いわし)の頭の生臭い匂いが嫌いと言われています。

柊鰯(ひいらぎいわし)

上記の鬼が嫌いとされる「柊(ひいらぎ)」の枝に「鰯(いわし)」の頭を刺したものが「柊鰯(ひいらぎいわし)」と言います。

これは鬼が嫌いとする物をWで玄関に飾り、鬼の侵入を防ぐという魔除け道具になります。

この風習も古くから行われていて、平安時代の書物「土佐日記」にも登場します。(当時は鰯ではなくボラの頭を使用していた様です)

こちらも現在でも行う地方がある節分の風習です。

まとめ

最初は「鬼を追い出す」行事ではなく「鬼が追い出す」行事でしたね。

そして「豆撒き」は日本が発祥ではなく中国から伝わった風習だったんですね。

古い書物にも登場する行事が今でも続いている事に驚きました。

節分は「魔目(まめ)」に向かって大豆を投げて、鬼を払い元気に過ごせる一年にしましょう。

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